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長州藩邸跡(京都ホテルオークラ)
2012 / 02 / 14 ( Tue )
長州藩邸跡(京都ホテルオークラ)

京都の中心街、河原町御池に京都ホテルオークラがあります。

地下2階、地上17階の京都ホテルオークラは1994年に総合設計制度
を採用して地上60mの高僧ビルにかわりました。
当時はこの高層ビルの建設には反対意見も多数あり世相を賑わし
ておりました。

京都ホテル

この京都ホテルオークラのある辺りは江戸時代初期には長州藩
毛利氏
の藩邸が置かれていた所であります。

高瀬側の一之舟入の南側から御池通りまでの河原町から木屋町
に至る一体で、幕末維新の頃には重要な政治的拠点となって
おりました。

藩邸は当初南北の二か所に分かれ北側屋敷、南側屋敷とがありました。
元冶元年(1864年)の蛤御門の変(禁門の変)で会津・薩摩を
中心とした朝廷・幕府側に破れた長州藩は、自らこの邸宅に
火を放ち京都をのがれたといわれております。

その時の火はたちまち市中に広がり数日間燃え続けたと
言われております。

長州屋敷跡

長州藩邸跡

明治維新後この藩邸跡は官有となり明治初年には府下産業の
振興を図るため勧業場が設立されました。

当時の京都府知事は第2代の槇村正直氏であります。

勧業場は同地に京都府の勧業課出張所として開場され、
明石博高氏が中心となり、欧米の先進技術を導入した各種生産、
製造施設が設置されたり、舎密局(理化学及び化学工業技術の研究
普及を目的とした機関)女紅場など多方面にわたる勧業施設
が設置されました。

明治天皇が行幸された記念碑も建てられております。

勧業場

これらの施設は実験的役割を果たして明治14年に民間に払い下げられ
同場から勧業課も引き上げ後廃止されました。

その廃止された後に明治21年神戸の料亭常盤花壇の経営者前田又吉氏が
常盤ホテルを開業いたしました。
明治28年には東山の也阿弥ホテルの経営者の弟である井上善太郎氏
が買収して京都ホテルとなりました。
大正・昭和の天皇が即位される御大典の時には貴賓の宿泊所と
なるなど、歴史あるホテルであります。

この京都ホテルオークラの南側に長州藩邸跡の石碑が建てられて
おります。また西側には木戸孝允の銅像も建てられております。

近代建築の中に見逃しそうですが歴史が刻まれております。
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