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雪の修学院離宮
2012 / 02 / 18 ( Sat )
雪の修学院離宮

昨夜来の寒風に雪が降り積もり、今朝はあたり一面の銀世界となりました。
5cmの積雪を観測、京の街としては珍しい光景となりました。

ここ修学院あたりも道路の凍結がみられ東山連峰は雪の花が一面を覆い
尽くしております。

雪景色

修学院の地名はその昔10世紀後半の頃、修学院というお寺が建立されたのが
始まりといわれております。
南北朝時代以後このお寺は廃絶し、その地名だけが残されたと伝えられております。

その修学院に修学院離宮があります。
明暦元年から万治2年(1655年~1659年)にかけて後水尾上皇によって造営された
山荘であります。

この造営の前に上皇の第一皇女梅宮が得度をして現在の中離宮付近の円照寺に
草庵を営まれていたが、早くから上皇は別荘の地を探しておられこの円照寺の
地を好まれ、円照寺を大和の八嶋に移し、上と下からなる御茶屋を建設されました。

中の御茶屋は創建時にはありませんでしたが、上皇の第八皇女光子内親王(朱宮)
のために建てられたものであります。

上皇亡き後は、光子内親王は落飾得度してこれを林丘寺とされました。

その後この修学院離宮は荒廃しておりました。
明治18年に林丘寺門跡から境内の半分が楽只軒と客殿とともに宮内省に返還
され離宮となりました。
昭和39年には上・中・下の各離宮の間に展開する水田を買い上げ、付属農地
としてのこされ、現在はその農地は貸与して耕作を任されております。

総門前

修学院離宮の総面積は54万5千㎡を越える広大な離宮で上・中・下の三つの
離宮(御茶屋)からなります。現在は宮内庁の管理となっております。

見学は杮葺の御幸門から寿月観へと中に入ります。

御幸門

寿月観は文政年間に旧規の通り再建されたものだそうです。
建物は杮葺入母屋数寄屋風造りとなっております。

寿月観

時折まだ雪が舞ってまいります。

寿月観2

寿月観の扁額は後水尾上皇の宸筆だそうです

寿月観扁額

一の間は十五畳あり、一間半の床には琵琶床(琵琶を置かれた床)と飾り棚
があります。
飾り棚の戸袋には鶴の絵、下の地袋には岩と蘭が原在中によって描かれて
おります。
襖四枚には岸駒によって虎渓三笑の絵が描かれております。

寿月観3

寿月観から楽只軒(らくしけん)へ参ります。
楽只軒は光子内親王の朱宮御所の最初の建物でその後御所は拡張
されて林丘寺となりました。

簡素な中にも清楚な趣があり内親王の御所らしい建物といわれております。
手前の六畳には吉野山の桜が、奥の間には竜田川の紅葉が狩野探信によって
描かれております。

樂只軒
楽只軒と客殿をつなぐところに「網干の欄干」と呼ばれる漁村で網を干した
形をした手摺りの低い欄干があります。

網干の欄干

客殿には天下の三棚の一つといわれる霞棚があります。
(修学院離宮の霞棚、醍醐三宝院の醍醐棚、桂離宮の桂棚)花車を形どった
七宝流の釘隠など、女性のお住まいらしい華やかさといわれております。

霞棚1

霞棚2

樂只軒襖

杉戸には住吉具慶の祇園祭りの鉾の絵が描かれております。

樂只軒杉戸

もう一方の杉戸には鯉に網がかけられた絵が描かれております。
この絵の作者はわからないそうですが、網を書いたのは円山応挙だと
いわれております。
これには逸話があり、
お女中が見回りに参りますと、夜な夜な鯉がお庭の池で遊んでおります。
お昼にはまた杉戸に戻っておりますが、そんなことが幾晩か続いたため
お女中が訴えたところ、それなら鯉に網を掛けようと、円山応挙に網を
かけて貰った。というものですが、それでも時々網を破って抜け出した
ので網がところどころ破れております。
と伝えられているそうです。

樂只軒鯉の図

楽只軒から松並木を通って一番高く見晴らしのいい隣雲亭へと参ります。
この松並木は明治天皇が行幸された時に馬車でここをお通りになるのに
殺風景ではいけないので植えられた松並木だそうです。
特殊な松で背丈の低い選定された松並木が続きます。

松並木2

松並木から四段になった大苅込が見えます。
谷川をせき止めて浴龍池を作った土堤に石垣で四段に土留をした石積で
目隠しのため数十種類の常緑樹を混稙した垣根だそうです。

大刈り込み

上離宮の頂上に隣雲亭があります。
眼下に浴龍池を配し、洛北の山々が見渡せ、洛中の街並みが見え、
その向こうには西山が見渡せるパノラマの眺望は天下一の絶景であります。

その景色を眺望するため、この隣雲亭には襖絵も飾り棚も一切の装飾を
なくし、自然と向き合うお部屋となっております。
畳敷きのお部屋の隣は板の間で洗詩台と呼ばれる御歌を詠まれたお部屋と
なっております。
こちらの装飾は唯一軒下のたたきに埋められた「一二三石」のみです。
赤い石は鞍馬の石で、黒い石は鴨川の石といわれております。

隣雲亭2


隣雲亭一二三石

隣雲亭を降りてまいりますと浴龍池のまわりに出てまいります。
浴龍池は島の形を泳ぐ龍の姿に見立てたものといわれております。
浴龍池はお舟遊びの場で管弦や詩歌の会などが行われた所であります。

浴龍池2

浴龍池3

浴龍池の途中に中国的な龍宮城の門のようにも見えるのは千歳橋と呼ばれる
橋で、あの橋を渡ると千年長生きをするといわれる橋だそうです。

太鼓橋

楓橋を渡ると宝形造りの茶屋窮邃亭へ参ります。
文政年間に修復が行われたが、創建当時の建物で現存する唯一のものといわれる
窮邃亭はお茶室であります。
扁額はやはり後水尾上皇の宸筆で焼き物で作られて左右を水引で繋がれております。
猿が訪れ遊びまわり、障子や部屋を荒らすので西側の障子は締め切りにされています。


窮遂邸

窮遂邸2

窮邃亭から土橋(どばし)を渡って船着き場へと続きます。

土橋

船着き場の奥には昔は茶室が建てられていたようです。
お舟遊びの途中などに茶室でお茶を戴いて過ごされたようです。

船着き場

西浜に続く途中にはお待合がおかれております。
雪景色のなかに佇んでおります。

お待ち会い

ここから又もとの松並木を通って御幸門へと進んで一巡の見学が終了
いたします。
所要時間約1時間30分足らず、恐らく二度と見ることのできない貴重な
純白な雪景色の素晴らしい修学院離宮を興味深く楽しませて頂きました。
ご説明も非常に楽しくポイントを抑え、ジョークを交えながらあっという間の
見学でした。

京の都は本当に素晴らしいところです。
22 : 04 : 02 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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