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映画の町 太秦
2012 / 03 / 21 ( Wed )
映画の町 太秦

嵐電の帷子ノ辻から、大映通商店街へとまいりますと、頭上には
大きな看板と、映写機が乗ったアーチが見えてまいります。

この辺りはかって映画の全盛期なりし頃、大変賑わっていた町です。
商店街では役者の方ご贔屓のお店があって、かつらをつけたままの
俳優さんに出会うことがままありました。

今は先般の水戸黄門の撮影を最後に時代劇の撮影がこの太秦撮影所
では行われなくなり、淋しい感がいたします。

大映通商店街

この通りを進んでいきますと、太秦多藪町へ続きます。
今はめっきり少なくなりました仁丹の町名表示が見えます。

この辺りは明治時代までは藪が非常に多く、大正15年(1925年)に
京福電鉄北野線が帷子ノ辻まで開通し、それ以後松竹、大映、日活等
の映画製作所が設立され、竹藪が取り払われ町に変身いたしました。

太秦多藪町 三吉明神鳥居

その竹藪の中に三善稲荷と中里八幡宮がありましたが、竹藪が切りはらわれた
際に一つにまとめられ、三善稲荷・中里八幡とされた神社があります。

三吉稲荷神社

この三善稲荷・中里八幡神社の境内に「牧野省三先生顕彰碑」というのがあります。

牧野(マキノ)省三先生とは
かっての映画名監督といわれた方で明治11年(1978年)京都の北桑田郡に生まれ
西陣に出て、芝居小屋「千本座」に出入りし、歌舞伎に親しみ、後に劇場を買収
して経営者となりました。
横田商会の活動写真興業に小屋を貸した縁でその制作を引き受け、旅役者を中心に
「本能寺合戦」「明鳥」などを作りました。
この牧野監督の第1作目の「本能寺合戦」は左京区浄土寺にある「真如堂」で撮影が
行われました。
その後映画にも力を入れ、坂東妻三郎、市川歌右衛門、片岡千恵蔵、嵐寛十郎、
月形龍之介などを、名優として育てました。
今では、この俳優の名を聞いても若い人達は知らない名前となりましたが、
時代劇映画の父とまでいわれるほどの名監督として名声の残しておられる方です。

この顕彰碑は平成13年に多くのスターが寄進して建立されました。
寄進された方々の名前の中には、津川雅彦、長門裕之、南田洋子はじめ
藤田まこと、吉永小百合、新藤兼人、高橋英樹、渡哲也、里見浩多朗などの
お名前もみることができます。古き良き時代の証です。

三吉神社 牧野省三顕彰碑


牧野省三顕彰碑

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