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円山応挙
2012 / 03 / 22 ( Thu )
江戸時代の画家 円山応挙

京の都が輩出した偉大な江戸時代後期の画家円山応挙は、丹波の穴太村
(現在の亀岡市)の農家に生まれ、初名を岩次郎、通称主人と名乗り
一嘯、夏雲・仙嶺などと号した後、明和3年(1766年)に応挙と改めました。

京都に出てから狩野派の石田幽汀に学び狩野派画風を習得するとともに、
写実的な画法を取り入れ、遠近法を学び、新鮮な画風を展開いたしました。

やがて写生重視の「円山派」が誕生し、現在までの京都画壇の源流となり
著名な弟子には呉春、長澤蘆雪、山口素絢などがおられます。


代表作は明和2年の「雪松図」(国宝 三井家蔵)、安永5年(1776年)
「竹図屏風」「保津川図屏風」などをはじめ祇園祭りの月鉾の破風軒裏の
「草木図」等多くの作品を残しております。

住まいは下京区四条寺町西入付近や四条柳番場西入るにありました。

p04-15.jpg

その円山応挙のお墓が右京区太秦東峰岡町の悟真寺にあります。
悟真寺は浄土宗に属し、ご本尊は阿弥陀如来

永仁年間(1293年~99年)道光が開創、創設地は不明だが
天正年間に四条大宮西入に移転、現在地に移転したのは昭和26年です。

悟真寺には円山応挙一族のお墓が建てられております。
中央の応挙のお墓である「源応挙墓」の字は、光格天皇の兄で
妙法院宮真仁法親王の親筆といわれております。

円山応挙の墓

応挙のお墓を中心として、右側には長男応瑞、応立のお墓があります。

円山一族の墓

そして左側には応震、応誠のお墓があります。

円山一族の墓2
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