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安楽寺
2012 / 04 / 08 ( Sun )
鹿ケ谷 安楽寺

京の左京区鹿ケ谷(ししがだに)に安楽寺があります。
山号を住蓮山と号し、浄土宗の単立寺院で、ご本尊は阿弥陀如来

鎌倉時代の始め、法然上人の弟子であった住蓮上人と安楽上人(遵西)が
「鹿ケ谷草庵」を結んで念仏道場としたことにより始まります。

もともとは現在地より東に1km位のところに建立されていました。

駒札

住連上人と安楽上人は『往生礼賛』に譜曲をつけて六時礼賛声明を完成
させました。

この声明がすこぶる美しく、参詣者の中にはこの声明を聞いて出家して仏門に
入る人があったといわれ、その中に後鳥羽上皇に官女として仕えていた松虫姫鈴虫姫の姉妹がおられました。

両姫は容姿端麗で教養もあったので上皇からことさら寵愛をうけておられたようで
他の女官からの嫉妬も相当受け、苦悩し、いつしかこの声明に心の平安を
求めるようになられました。

建永元年(1206年)12月、後鳥羽上皇が紀州熊野に参詣されている間に両姫は
清水寺で法然上人の説法を聞き、念仏(南無阿弥陀仏)によって救われるほか
安穏の道はないとこころに決め夜中に秘かに御所を抜け出し「鹿ケ谷草庵」
を訪れ、両上人に懇願し髪をおろして出家してしまいました。
この時松虫姫は19歳、鈴虫姫は17歳であったそうです。

この事実をしった上皇は激怒し、建永2年(1207年)9月松虫姫を出家させた
住蓮上人を近江国馬淵(滋賀県近江八幡市)で斬首の刑に、また鈴虫を出家
させた安楽上人は六条河原(現在の東本願寺近く)で斬首の刑に処せられま
した。

さらに法然上人は75歳にして讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞上人は
越後国(新潟県上越市)に流罪になりました。

歌舞伎門

住連上人、安楽上人亡き後「鹿ケ谷草庵」は荒廃いたしましたが、流罪地から
帰京した法然上人によって両上人の菩提を弔うため草庵を復興して
「住蓮山 安楽寺」として両上人の追善の寺とされました。

山門を潜ってすぐのところに住蓮上人と安楽上人のお墓が建てられております。
山門は明治25年に建てられたもので国の登録文化財に指定されたおります。

安楽・住蓮上人墓

両姫はその後瀬戸内海の生口島(いくちしま)にある光明坊に移り、念仏三昧の
余生をおくり松虫姫は35歳で、鈴虫姫は45歳でなくなったそうです。

両上人のお墓から少し高台に上ったところに松虫姫と鈴虫姫のお墓があり、
毎年4月と11月に両姫の祥月命日に和讃法要が勤められています。

松虫 鈴虫 墓2

天文年間(1532~1555)の末に現在地に本堂が再建され今日に至るそうです。
境内には佛足石がおかれています。

仏足石

本堂は江戸時代後期のもので、仏殿を移築されたものだそうで建て方が
少し変わっております。

本堂


本堂2

書院には松虫姫・鈴虫姫の剃髪や住連上人・安楽上人の斬首の情景を
描いた掛け軸がかけられたおります。

掛け軸

お庭には五輪の塔が建てられております。

庭園1

安楽寺では毎年7月25日に京野菜の一つで瓢箪型をした「鹿ケ谷南瓜」
中風まじないの「かぼちゃ供養」が行われます。

江戸末期の住職で真空益隋上人が夏の土用に鹿ケ谷かぼちゃを食べると
中風にならないという夢のお告げをうけ仏前で供養をして食したこと
により始められたと言われております。

鹿ケ谷かぼちゃ
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