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観音寺
2012 / 05 / 08 ( Tue )
京田辺の古刹巡りⅥ 観音寺


京田辺の古刹巡りも愈々終盤になってまいりました。

朱智神社から天王のバス停の水取方面に下ったところに天王墓地があります。
この墓地に一石多尊石仏が三面並んでいます。
一石多尊石仏は室町時代以降に現れたものと伝えられております。

多尊石仏

右側の石仏は三十三の石仏が碑面一杯に彫られて、最上段の右側が一番で
最下段の左下が三十三番で終わるように配置されています。
この前で一度手を合わせると三十三か所の観音霊場を巡った御利益があるそうで
庶民がまだ旅に出るのが困難だった時代には有難い仏様だったようです。
高さは150cmで江戸時代の作だそうです。

左側の石仏は十六尊仏碑で
阿弥陀如来と地蔵菩薩が交互に彫られています。
夫々像の右側に女性の名前が刻まれていることから生前に死後の法要を
営む逆修の碑とみられているようです。
高さは115cmで天正18年(1590年)の銘があります。

このように天王から生駒市にかけてこうした石仏碑が散在して見られる
ようで貴重なものと云われております。

石仏


石仏を通り過ぎて程なくのところに観音寺が見えてきます。
お寺までの両参道には桜が今は新緑で、花の頃は桜と菜の花でそれは
綺麗な光景が見られるところと地元の人々に親しまれております。

観音寺は真言宗智山派に属し、大御堂とも普賢寺とも呼ばれております。
ご本尊は十一面観音菩薩立像。

かってこの辺りは壮大な伽藍を誇る大寺がありました。
寺は奈良時代に創建された普賢教法寺の後身となるようです。

寺伝では天武天皇の勅願により義淵が開基となり、次いで聖武天皇の
御願により天平16年(744年)良弁が伽藍を増築し普賢教法寺と呼ばれた
ようです。

以来再三の火災によって焼失いたしましたが、その都度藤原氏の帰依を
受けて再建されてきました。

駒札

盛時には諸堂十三、僧坊二十を数える大寺であったようですが、
永享9年(1437年)の火災で殆ど焼失いたしました。

その後再建はされたものの、往時の寺勢はなくなりました。
現在の本堂は昭和28年に再建されたものです。

ご本尊の十一面観音菩薩立像は国宝で、もとは普賢教法寺の旧仏で
良弁によって天平16年(744年)に安置されたものだそうです。

気品のある穏やかなお顔の観音様です。

本堂

またこの地は奈良のお水取り「修二会」に使われる竹送りの地でも
あります。
竹送りの当日は朝8時から竹藪に入り目星をつけておいた竹を伐り出し
観音寺へ運び入れ、旅の安全を祈願してから大八車に積んで二月堂へ
運んでいきます。


二月堂竹送り


竹送り2
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