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撞木町
2012 / 06 / 05 ( Tue )
伏見の 撞木町遊郭跡

伏見の欣淨寺から南へ約200m足らずのところに撞木町廓入口と書かれた
石柱が残されております。

この辺りは伏見区両替町以北の T字形 の地でその形から鐘を打つ撞木に
似ているところから名づけられたと言われております。

撞木町石柱2撞木町石柱1

江戸期は恵美酒町(恵比寿町)と称し、伏見城の外濠造成後に発展した、
木挽町筋の一つで角倉番所に集まる船頭さんたちの町でした。

町内には慶長元年豊臣秀吉が公許した傾城町が置かれていました。
当時は賑わっておりましたが、伏見城の戦火と大地震のために衰退
いたしました。慶長9年渡辺掃部、前原八右衛門が再興を許され富田
掃部・前原八右衛門が再興を許され、富田屋信濃守屋敷に撞木町遊郭
を開きました。

天神以下の遊女を置く傾城町として元禄期(1688~1704年)には
賑わいをみせておりました。

元禄忠臣蔵で有名な大石良雄も山科から、京の都に通途次に
この廓でよく遊んだと伝えられております。

享保期(1716~1736年)には中書島遊郭にとってかわられ、次第に
衰退していきました。

が、今もそのしるしとなる石柱が残されております。

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