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醫徳山 薬師院
2012 / 06 / 13 ( Wed )
薬師院(こぬか薬師)

京の都にはお薬師さん信仰というのがあります。
古くは平安時代から続くともいわれ、江戸時代後期に12カ寺の
お薬師さん霊場というのがあったようです。

もともとお薬師さんは「薬師如来」として健康祈願をいたします。

それぞれ謂れがあり、先般京都新聞(6月5日 朝刊9面)にも紹介されて
いました。

ここ中京区の釜座通二条上るにあるのは「こぬか薬師」として地元の方々から
信仰を集めています。

石柱

薬師院は山号を醫徳山と号し、黄檗宗に属します。

縁起によりますと、当院の薬師如来は伝教大師が16歳の時比叡山延暦寺草創の
大願により一刀三禮薬師佛を七体彫刻し、その内の一体ががこちらの薬師如来
であると記されております。

昔人有りて延暦寺の女人禁制を嘆き美濃国横倉に一院を設け安置したようです。
尾張国山田郡に右馬允明長という武士がいて、この薬師如来を大層信心いたして
おりました。 この武士は諸所の合戦で活躍しておりましたが、七瀬川の合戦で
深手を負い生死をさまよっている時一人の黒衣の僧が草を揉みてこの武士の傷に
当てたところたちどころに傷が癒え、年老うまでこの地に住み子孫が栄えたそうな。

又御堀川院の頃(1230年)寒波がおしよせ疫病が流行し死人が続出していた時に
この薬師院主の夢まくらに「一切病苦の衆生我が前にくれば諸病忽ち除く」
「来也(こぬか)・来也(こぬか)」とのお告げがあったので民衆に告げ参詣
したところ諸病は平癒した。  ゆえに「来也薬師(こぬかやくし)」と称し
するようになったようです。

その後美濃国に住まいする法蓮房道三斉藤山城守がこの薬師如来を現在の地に
移し今日にいたるようです。

本堂2

元冶元年(1864年)の蛤御門の変で堂宇は焼失してしましました。
明治21年三井家近衛家の援助により当院の緑樹院竺丈禅師が再建しました。

かとう窓

扁額

本堂内

現在のお堂は極小さなお堂となっておりますが
隆盛時は境内は広く、大黒町二条通一体に薬市や夜店等が立ち並ぶ賑わいを
みせていたところから、二条通に薬問屋漢方薬店が多いのはこの名残である
と記されています。
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