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桂離宮
2012 / 06 / 16 ( Sat )
雨の桂離宮

江戸時代の初期に京の西方桂川西岸流域に営まれた離宮「桂離宮」
は総面積付属地も含めて約6万9千㎡余りといわれております。

後陽成天皇の弟(正親天皇の孫)である八条宮家初代智仁親王によって
宮家の別荘として創建されたものです。

もともと下桂周辺に八条宮家の領地があり、元和元年(1615年)ころより
度々桂に来遊され山荘の造営が始まり、その頃の親王の日記には「下桂茶屋普請」
とあり書状にも「下桂瓜畑のかろき茶屋」というのが記されているようです。

数年の間に桂山荘ができ、親王40歳の時期に古書院が建てられたものと見られて
いるようです。その後寛永6年に親王が亡くなられてから10年余りは荒廃して
おりましたが、二代智忠親王が加賀藩主前田家の息女富姫と結婚され財政的な
裏付けが出来たことや、徳川家康から銀千枚の援助や幕府からもたびたびの
援助もあり、父君の山荘の復興、増築に取り組まれました。
また、寛文2年(1662年)頃後水尾上皇の御幸に際して造営も行われ、
在来の建物や庭園に巧みに調和させた中書院、桂棚、新御殿、月波楼、松琴亭、
賞花亭、笑意軒などを増築され、池や庭園にも手を加え、ほぼ現在の離宮の
姿になったようです。

この桂離宮が有名になったのはドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが
「日本建築の世界的奇跡」「永遠なるものー桂離宮」と絶賛してからのことで
あると言われております。

八条宮家はその後、京極宮、桂宮と改称され、明治14年(1881年)第十一代
淑子内親王が亡くなられてから絶え、宮家の別荘として維持されてきた桂山荘
は明治16年(1883年)に宮内省所管となり桂離宮となりました。

創建以来幸いにも火災にも遭うことなく、殆ど完全に創建当時の姿が今日まで
伝えられている貴重な離宮であります。


後水尾上皇をお迎えするにあたり造られた茅葺切妻屋根をあべまきという自然木の
丸太で支えた御幸門です。

御幸門

御幸道には細かい石が見事に並べられています。

通路

御幸道を通って土橋を渡ると外腰掛けがあります。

御幸道 太鼓橋

外腰掛は茅葺の寄棟造りで茶室松琴亭のお待合腰掛けとなっております。
屋根を支えている皮つきの丸太は曲線を描いた枝ぶりが巧みに組み合わされて
います。
前には蘇鉄山があり、この蘇鉄は薩摩の島津家から献上されたものだそうです。

蘇鉄山

外腰掛の屋根

外腰掛けの前は自然石と切石が巧みに組み合わされた延段が長く続きます。

雨の桂離宮は打ち水をしなくても苔は生き生きとし、石も、新緑もそれは
しっとりとしたみずみずしい素晴らしい景色を見ることができます。

延段

黒く扁平な石が敷き詰められが洲浜は池につきだし先端に燈籠を据えて
岬に見立て、海を演出しているそうです。
その先の中島と石橋のつながりは天橋立に見立てたものだそうです。

州浜

松琴亭
松琴亭4

松琴亭は桂離宮の中で最も格の高い茶室「真」にあたり三畳台目(茶室用の
畳)で遠州好みの八窓囲いとなっております。

松琴亭2

青と白の市松模様の襖は藍染であるとか、大胆で粋な取り合わせはブルーノ・
タウトが絶賛する要因でもあったのではないでしょうか?
随所に細かい配慮がなされていて、竈構えの炉の上に天袋があるのはお湯が
冷めないような配慮があるとか、欄間にも工夫が凝らされております。

松琴亭

松琴亭3

賞花亭は中島の小高い峠の茶屋風で苑内では一番高い位置にあたります。
暑い夏の期間の避暑地にあたるそうです。

竹の連子窓から見る景色は深山幽邃の趣があるといわれております。

賞花亭2

賞花亭

賞花亭 炉

園林堂は離宮内で唯一の瓦葺で宝形造りとなっております。
持仏堂とされていましたが現在は安置されているものはないそうです。

圓林堂

扁額は後水尾上皇の宸筆だそうです。

園林堂2

笑意軒
茅葺寄棟造りの屋根に杮葺の廂をつけた間口の長い建物は笑意軒と名付け
られた田舎風の茶室となっております。

笑意軒

笑意軒の扁額は曼殊院良恕法親王の筆でその下には六つの丸い下地窓が
設けられております。この下地窓の下地はそれぞれ組み合わせが変えられて
おります。

笑意軒2

腰板のデザインも斬新なデザインが凝らされております。

笑意軒3

内側は襖で仕切られておりますが天井は一つの繋がりをもっていて
室内を広く見せる配慮がなされているとのことです。

笑意軒4

襖のとってや戸の引き手にのデザインにも随分工夫がなされています。

笑意軒5

蹲は「浮月」の銘があり、月を写して楽しめるようになっています。
風流ですね

笑意軒手水鉢

桂離宮の中枢となる書院は、古書院、中書院、楽器の間、新書院が
雁行形に連なって建てられております。

湿気を防ぐためと、桂川の氾濫から守るために高く上げられた造りと
なっております。
新御殿は後水尾上皇をお迎えするために増築された建物で、ここに
天下の三棚と呼ばれる桂棚がとりつけられております。
残念ながらそれは拝見することはできません。
(修学院離宮の霞棚、桂離宮の桂棚、醍醐三宝院の醍醐棚)

古書院からは広縁が突き出ていてお月見の宴が催されたり、苑内の主要な
景観が一望できたり納涼の場であったりするようになっております。

書院

月波楼はお月見に格好の茶室となっております。
見晴らしがよく池に移る月を眺めてよし、山にかかる月を見てよし、
素晴らしい景観のお茶室です。

化粧屋根は丸みをおびて竹の垂木が舟の底のような形に組んであるのだ
そうです。

月波楼屋根

月波楼扁額


月波楼3


月波楼

御輿寄に通じる門です。

お越寄せ

書院の玄関に当たり今まで苑内では見られなかった固い切石が
敷かれ、杉苔を配された御輿寄せは石段を上ると一枚の敷石に六人の
沓が並べられるところから「六つの沓脱」といわれているそうです。

お車寄せ2



お腰寄せに繋がる通路には黒文字垣が配せられております。

黒文字垣

正面に見える松は老松で一目で全体が見えないような工夫がなされて
いるそうです。
謡曲の「黒田節」にも謡われるもととなりました。
その姿は見事なものです。

松

こうして雨の桂離宮を約1時間かけて見学して参りました。
ゆっくり立ち止まって見る時間はないので、見落としているところも多々
ありましたが、兎に角素晴らしいです。
四季折々にその表情は違い、今回は雨の新緑の素晴らしい景観・芸術・
建築などを楽しませていただきました。

表門

表門を出て桂川沿いに面した垣根は「桂垣」と呼ばれ、生きた竹を
折り曲げて垣根に組んであるものです。

この桂垣が周囲を囲んでおります。
複雑な垣根造りでいつも青々とした竹が生きづいております。

桂垣


桂垣2
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