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七条仏所跡
2012 / 06 / 28 ( Thu )
七条仏所跡

京の七条通河原町西入る材木町に七条仏所跡という駒札が
たてられています。

この辺りは平安時代中期に活躍した「定朝」始めその一族・子弟・
子孫が長く居住し、彫刻に励んだ「仏所」のあったところで「七条仏所」
「七条大仏所」と呼ばれていたそうです。

通常の民家の垣根に駒札が建てられているだけなので、殆ど見過ごして
しまいます。

駒札2

「仏所」とは仏師の集団または工房のことで、仏所の名称は承保2年
(1075年)法勝寺造営の時仏所において供養を行ったという記述が
みられ、鎌倉期には「仏所大工三条覚円法印」「仏所方眼院慶」
等仏師集団としての仏所が発展していきました。

室町期になると仏所はされに分化して「三条仏所」「七条仏所」
「五条仏所」「高辻大宮仏所」等と分化していきました。

「定朝」宇治平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)の作者で「和様」
と呼ばれる優れた彫刻様式を完成させたほか卓越した技術によって
僧網仏法橋を与えられ、仏師の共同組織として仏所の制度を整える
など仏師の社会的地位の向上に努めました。

これらのことから定朝は我が国における仏師の祖と仰がれるように
なりました。

鎌倉時代に入ってこの七条仏所から、運慶・湛慶・快慶が相次いで
現れ、多くの名作を世に送りました。

室町期に入って彫刻全体としてふるわず、この仏所も21代康正の時
四条烏丸に移転いたしました。

幕末になって兵乱によって罹災し、仏所としての遺構は完全に失われ
現在は民家になり、その遺構の駒札だけが残されております。

仏所跡
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