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旧二条城跡
2012 / 07 / 09 ( Mon )
旧二条城跡

京の都の二条城といえば堀川御池上るに慶長7年に徳川家康によって
築城された世界文化遺産に指定されている城をいいます。

ところが、上京区下立売通室町西入るの平安女学院校舎の一画に
旧二条城跡と書かれた石柱が置かれています。

二条城が二つあったのかと疑問に思われます。

この旧二条城跡というのは
永禄12年(1569年)に織田信長が最後の室町幕府第15代将軍足利義昭
のために将軍座所(居城)として現在の烏丸通、新町通、丸太町通、
下立売通に囲まれた一丁四方にほぼ70日間で築いた城であると文献に
残されています。

短期間ではありましたがこの二条城は二重の堀や三重の天主を備えた
堅固な城であったそうです。

その後信長は旧二条城から足利義昭を追放し、正親町天皇の皇太子
東宮誠仁親王を迎え入れ城は「二条御殿」として使われていましたが、
室町幕府が滅んだことにより廃城となりました。

天正14年(1576年)旧二条城は解体され、信長の安土城築城に際して
建築資材として再利用されたと伝えられております。

石柱

地下鉄烏丸線の工事の際に発掘調査が行われた時に出水、下立売、椹木町、
丸太町の4ケ所で石組のある大規模な濠が発見され、位置的に旧二条城の
ものと考えられると言われております。

丸太町上るの石組
丸太町石組

出水の石組
出水の石組

当時ポルトガル宣教師ルイス・フロイスが書きのこした「日本史」に
信長は吊りあげ橋のある非常に大きく美しい濠を造り、その中に種々
の(多数の)鳥を入れた。彼はそこ(濠)に三つの広大でよくしつらえた
入り口を設け、そこに見張所と砦を築いた。
その後ろには美しい広い中庭があった。 と書かれているようです。

もう一つの二条城の謎が解けたようです。
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