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島原
2012 / 07 / 23 ( Mon )
花街 島原

島原は江戸時代以来公許の花街(かがい)として発展してきたところです。

豊臣秀吉が京の町を再興するに当たり、二条柳馬場に柳町の花街を公許
しました。 それが後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、
六条三筋町として栄えました。

その後京の町の発展に伴い寛永18年(1641年)市街地の西に当たる当時の
朱雀野の地に移されました。
その移転騒動が九州で起きた島原の乱を思わせるところから「島原」と
名付けられたそうです。正式地名は「西新屋敷」といいます。


駒札

花街と遊郭の違いは、花街は歌舞音曲を伴う遊宴の街で、遊郭はそれらを
伴わない歓楽の町との違いがあります。

島原は単に遊宴を催すだけでなく和歌・俳諧等の文芸も盛んんで、江戸中期
には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈しておりました。

また、最高位である太夫の名称は慶長年間、四条河原で六条三筋町の傾城が
女歌舞伎を催した時優れた傾城を「太夫」と呼んだことが「太夫」の始まりと
いわれております。

明治以降は洛中の遊里支配権を失い、昭和33年には公娼制度廃止に伴い
次第にさびれ、現在はその面影を残すのは島原の入り口となる大門
揚屋(今の料亭)の「角屋」と置屋(太夫や芸妓を派遣する店)「輪違屋」のみ
となりました。

大門

  嶋原のでぐちのやなぎをみて なつかしき やなぎのまゆの 春風に
   なびくほかげや さとの 夕ぐれ   (蓮月尼)

現在残されている「大門」は度々火災で焼失後、慶応3年(1867年)に
神社仏閣並の本格的な高麗門として建て替えられたものです。
昭和61年(1986年)京都市の登録有形文化財となっております。

大門2

当時の京の都は度々火災が起こりました。一たび火災が発生すると
瞬く間に広がり大火となりました。
そんな防火のために防火桶が据えられておりました。

防火桶

当時の様子は『都名所図会』や『都林泉名所図会』などで垣間見ることが
できます。
当時の嶋原は東西99間、南北123間で、外周にほりを巡らし、堀の内側
には土塀が築かれていて、出入り口当所は東口でけであったのが享保17年
に西口が設けられました。

都名所図会

現在唯一残されている置屋の「輪違屋」です。
元禄年間の創業で現在の建物は安政4年(1857年)に再建されました。
輪違屋は建築的に質が高く、また最古の置屋の遺構として貴重であると
言われております。
昭和59年(1984年)京都市指定有形文化財に指定されています。
現在はお茶屋さんとして営業されていて、非公開になっております。

この輪違屋さんで太夫さんの「かしの式」をみることが出来ます。

太夫道中はこの「置屋」から「揚屋」までの間を練り歩いたといわれて
おります。
太夫が禿を従えて、黒塗りの三本葉の下駄で、外八文字を踏んで練り歩く
道中は豪華で華々しく、今日の太夫を呼んだのは何処の大旦那かとその
権勢を競いあったといわれております。

輪違屋
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