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島原 角屋
2012 / 07 / 28 ( Sat )
島原 角屋(すみや)

角屋は島原開設当初から連綿と建物、家督を維持しつづけ、江戸期の
饗宴、もてなしの文化である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年
(1952年)に国の重要文化財に指定されました。

駒札

島原は饗宴の場である「揚屋」と揚屋に太夫や芸妓を派遣する「置屋」
からなる分業制をとっておりました。

外観

正門

家紋は「蔓三つ蔦」です。

家紋

揚屋は江戸時代の書物の中で、客を「饗すを業とする也」と定義されて
いて、さしずめ現在の料理屋・料亭にあたるものと考えられます。
饗宴のための施設ということから、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を
配すると共に、庫裏と同規模の台所を備えていることを重要な特徴と
していると言われます。
現在の規模になったのは天明7年(1787年)の増築後であると伝えられ
ております。

おくどさん

おくどさん2

島原も全盛期を迎えていたころ、文政元年(1818年)には頼山陽が郷里から
伴なった母を角屋南隣の八文字屋に案内して宴席でもてなし、揚屋が親孝行
の場になったともいわれております。

また、各藩の武家屋敷の大宴会も角屋をはじめとする揚屋が担って参りまし
たが、幕末になると勤皇派の密議の場に使われたり、新撰組の出入りも多く
ありました。

明治維新以後は大型宴会の需要もなくなり、足場の悪さもあって島原全体が
衰退し、それ以降は祇園が花街の主役へと変わっていきました。

帳場

1階の台所の間です。帳場があったり、神様がお祀りされていたり、箱火鉢
があったり、床下収納庫があったり、広い台所の間で、重要文化財となって
おります。

箱火鉢

お客様はここで刀を預け、刀箪笥へと納められます。

刀箪笥

大座敷(松の間)
襖絵は岸連山の「桐に鳳凰の図」です。額は薩摩剛毅によるものです。

お座敷1

お座敷2

お座敷3

お座敷4

臥竜松の庭といわれ、枯山水で白砂が敷かれています。
現在の松は2代目にあたります。

2代目松

お茶室は曲木亭の茶室(重文)と清隠斎茶席(重文)があります。

茶室

その他1階には「網代の間」があります。
天井が網代で組まれているところから「網代の間」と呼ばれています。
棹縁、長押は北山杉が使われていて豪華なつくりとなっています。

棚

2階は撮影禁止となっておりますが、
緞子の間、御簾の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間などが、
そのお部屋によって趣向が凝らされています。
天井や障子のさんが桧垣組みになっていたり、与謝蕪村の「夕立山水図」
の襖絵があったり、壁・建具に青貝が用いられていたり、円山応挙の
「少年行の図」があったりして、どのお部屋も見ごたえのある素晴らしい
ものです。

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