FC2ブログ
赦免地踊り
2012 / 10 / 08 ( Mon )
八瀬天満宮 赦免地踊り

京の左京区、比叡山の山麓を流れる高野川が急流となる辺りに八瀬の里が
あります。
この辺りは風光明媚な地で清流と秋は紅葉がすばらしい里の風景が続きます。
八瀬と呼ばれる由来は、天武天皇が壬申の乱(672年)の際この地で背中に
矢傷を負ったためとも、又急流、岩瀬が多いところからとも言われております。

この八瀬の地に住まいする村民は古来より八瀬童子と呼ばれ皇室と関わりが
深く禁裏参内の特権を有し、天皇の行幸・還幸の際の駕輿丁を努めたと
いわれております。

その八瀬の秋元町には比叡山の法性房の阿闍梨尊意が菅原道真の死後勧請
したと伝えらている八瀬天満宮社があります。
菅原道真が幼少のころ尊意に学んだといわれ、この神社で休息したという
故事にちなみ菅原道真がお祀りされたようです。

この八瀬天満宮の摂社に秋元神社があり、江戸時代の老中秋元但馬守が
お祀りされています。
謂れは比叡山と八瀬村民との間で土地争いが起こり、村民は幕府に上訴
いたしました。村民の度重なる上訴に時の老中秋元但馬守が御裁きを
下されました。そのお裁きで村民が救われたことから高恩に報いんがため
秋元神社を建てお祀りされているものです。

その秋元神社において毎年10月に300年の歴史を誇る赦免地踊りが継承
されていて無形文化財に指定されています。
今日7日はその赦免地踊りが行われる日です。

皇后陛下御歌

八瀬天満宮社の鳥居前には美智子皇后陛下が踊りをご覧になった思い出の
歌碑があります。

 「大君の 御幸祝ふと八瀬童子 踊りくれたり 月若き夜に」

八瀬釜風呂

壬申の乱の時に背中に矢傷を追った大海人皇子(天武天皇)が八瀬の
かま風呂でその傷を癒したといわれる八瀬かま風呂があるところです。

行列

祭は10月7日の午後7時30分頃に市立八瀬小学校前を出発いたします。

音頭取りを先頭に太鼓打ち、汐汲みの少女の行列に燈籠を頭に被り女装
した13歳~14歳の少年「燈籠着」が四か所から行列に加わります。
音頭取りが全員揃ったことを確認してから伊勢音頭に合わせて
八瀬天満宮社へと行列が進みます。

灯籠

頭につける燈籠は重さ5kgもあるとか、不安定なもので中々大変
そうです。
各町内で丹精をこめて赤紙にすかし彫りの絵模様を白の地紙に
張りつけて造られたものだそうです。
この燈籠一対には16人もの人が製作にかかわっておられるようです。

灯籠着

神事は真っ暗闇の中でしずしずと音頭に合わせて進められます。

神殿

燈籠着の行列は真っ暗闇の中でその灯りが天満宮社の長い階段を
ゆっくりと上ってくるのを上から眺める光景は幻想的なものです。

行列2

本殿に到着後は舞殿において御神酒を頂くという神楽が披露
されます。

神楽

地元の小学生(12歳~13歳)による可愛い汐汲み踊りが披露されます。
夏休みからずっと練習に励んできたものだそうです。
とても愛らしく祭を盛り上げていました。

又境内では燈籠廻しという、燈籠着が境内を廻るのも披露されました。

汐汲み踊り

灯籠まわし


今はもう殆ど見られなくなった、大道芸の南京玉すだれが東映の女優さん
によって披露されました。

南京玉すだれ

京の都に残されている、素晴らしい伝統行事(無形文化財)であります。
17 : 38 : 13 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<妙喜庵 | ホーム | 京都市 文化財防災マイスター>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://kyonoazemichi.blog60.fc2.com/tb.php/547-09779793
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |