妙喜庵
2012 / 10 / 10 ( Wed ) 国宝 待庵 (妙喜庵)
国宝の茶室「待庵」がある妙喜庵はJR大山崎駅の前にあります。 妙喜庵は臨済宗東福寺派に属し、ご本尊には聖観世音菩薩、と千利休像が 安置されています。 妙喜庵は江戸時代末期まではこの地にあった地蔵寺の塔頭であったといわれ、 明応年間(1492~1500年)に俳人であり、連歌師でもあった山崎宗鑑が隠居所 として建立したものであると伝えられております。 開山は東福寺の春嶽禅師で、もと連歌の祖であった山崎宗鑑の屋敷を寺にし、 妙喜庵と名付けられたといわれております。 妙喜庵には豊臣秀吉と明智光秀の山崎合戦(1582年)(天王山合戦) 直後に千利休が建立した草庵風茶室の代表的な遺構といわれる国宝の茶室 「待庵」と、重要文化財に指定されている春嶽禅師創建の室町時代の書院造り 「対月庵」があります。 書院縁側の杉戸には狩野山雪による表側には松に鶴、裏側に雪中枯木に 山鳥が二羽の絵が描かれています。 書院前のお庭は枯山水で書院から月が昇る様子がよく眺められ、秋の夜長は 月見の茶会などが開かれ風流を楽しんだと思われる侘茶の風情が感じられます。 五輪の塔もあまり高くなくそれほど広くないお庭にあわせた造り、 樹木とともに邪魔しないでそっとおかれているという心配りの塔です。 明月庵の奥に置かれている手水鉢は真四角でとがった石ののうえに なんとも不安定な形でおかれています。 「待庵」と名付けられた茶室は、天王山合戦の際秀吉が千利休を招いて 山崎に二畳隅炉の茶室を造らせ、利休は秀吉に陣中の苦労を慰めたと 言われる茶室を後に解体して妙喜庵に移されたものと言われております。 待庵は千利休独特の構想で建てられ現存する茶室建造物としては日本最古 のもので千利休の遺構としては唯一のものであると言われております。 工夫された待庵は掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床間の隅や 天井を塗廻した室床の構想から二畳敷の割には広く感じられるように されています。 又連子窓、下地窓の配置、壁の塗り方、やや広い躙口などは後世に残る 数寄屋の見本とされていると言われております。 ガレージ位のスペースに造られた茶室には、数限りない工夫と繊細な 緻密な計算のもとに造られた素晴らしい茶室です。 待庵の前庭には秀吉の袖が触れたということから「袖摺松」と名付けられた 現在は3代目に当たる松が植えられています。 裏千家の宗匠がこの老松の枝より作られた茶入れは妙喜庵の名物となって いるようです。 国宝といわれる茶室「待庵」ですが、年々老朽化し、維持が中々大変な ようですが、このように素晴らしいものは長く保存されることが望まれます。 |
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