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大山崎町歴史資料館
2012 / 10 / 12 ( Fri )
大山崎町歴史資料館

大山崎町は南は桂川、宇治川、木津川の三川合流の地点に位置し、北は
長岡京市、西は大阪府、南は八幡市、東は京都市に接する地で古来より
京都と大阪を結ぶ水陸の要衝として栄えてきた町であります。

天正10年(1582年)6月13日には天下分け目の「山崎合戦」が戦われた地でも
有名です。そのシンポルが天王山であるといわれております。

天王山と淀川に挟まれた地で行われた戦は秀吉が勝利し、秀吉は天王山に
お城を建て、天下統一に向けて大山崎からスタートを切りました。

その城下町には千利休や今井宗久はじめ豪商などが訪れ、商売だけでなく
文化面においても多くの功績を残した地でもあります。

その歴史を紹介しているのが大山崎町歴史資料館で、阪急電鉄大山崎駅
よりすぐのところにあります。

大山崎町歴史資料館h阿大山崎商工会の建物の2階にあります。

商工会


航空写真により、三川合流地点でありかっては水陸の交通の要衝であった
様子が映し出されています。

全体像

大山崎町歴史資料館では大山崎の歴史と資料の展示の概略が示されています。

古代=交通と要衝、その文化ゾーン、中世=油生産と町の繁栄、
中央に山崎合戦、利休と待庵(復元模型)、近世=城下町から神領支配

図面

天王山からの夕景、宝積寺の十一面観音菩薩立像、三重の塔、
荏胡麻油の生産など代表的な映像が紹介されています。

史跡

信貴山縁起絵巻(平安時代 国宝 複製)
第1巻 山崎長者の巻 飛び倉の場面で面白い逸話があります。

信濃の国より奈良にきて受戒した法師(命連)が帰郷を思い留まり信貴山が
みえたところに堂を建て修行しておりました。
命連上人が山崎の長者のもとに度々托鉢を飛ばして布施を求めていたが
長者は度重なる托鉢に嫌気をさし米倉にその鉢を閉じ込めてしまった。
するとその鉢は倉から飛び出し、校倉造りの倉を鉢にのせて信貴山へ
飛んで命連上人の所まで帰ってしまった。
慌てた長者は馬に乗り倉を追って後を追い信貴山の命連上人に倉を返して
くれと頼みました。命連上人は倉は返さないが、米は返すと約束し、
鉢に米俵を一つ乗せるように指示すると俵を乗せた鉢は長者宅に帰って
きた。そこで皆大喜びした。

というお話です。何とも愉快なお話が絵巻に記されています。

信貴山縁起絵巻

後鳥羽上皇宸翰御手院置文(鎌倉時代 国宝 複製)

後鳥羽上皇は水無瀬離宮を造り多くの公家従え度々行幸をされていました。
承久の乱で隠岐へ流された後水無瀬離宮を管理しているものにこの置文を
送り上皇が死亡した場合これを弔うよう指示した内容文面に上皇自ら
手印が押されたというものです。

後鳥羽上皇

長谷川等伯による千利休像(複製)桃山時代の作品が架けられています。

千利休像

またこの歴史博物館には千利休が唯一残したといわれる茶室「待庵」
模型が展示されていて、妙喜庵に行く前にこの模型で学習をしてから実物を
拝見すると余計そのしくみがよく判ります。
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大山崎町歴史資料館は、JR山崎、阪急大山崎の両駅からすぐ近くの位置にあります。 大山崎ふるさとセンターの2階です。 大山崎町の歴史が、展示と映像で解説されています。 中に入るとフロアの真ん中に井戸があって、なんじゃこりゃーってなりますよ。 展示では、千利休の待庵は、いい雰囲気でした。 それと、山崎合戦が時系列をうまく表現していてわかりやすかったです。 こういうのを... ミュージアムに行きました。【2015/03/02 00:02】
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