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旗立て松(大山崎)
2012 / 10 / 17 ( Wed )
秀吉の旗立て松


大山崎の宝積寺から天王山へ20分ほど登ったところに山崎合戦の
由緒が残る旗立て松があります。

主君織田信長が明智光秀に倒されたことを聞いた秀吉は備中高松城で
戦っていたが、すぐさま京へと引き返し光秀との戦いに臨みました。

京都を守る光秀は山崎辺りを戦場と判断し、俯瞰のきく天王山を
目指しました。 秀吉の前線もやはり天王山を目指しました。
実際の合戦の前哨戦は天王山までいかなくて大山崎の東を流れる
小泉川を挟んだ地で行われたと言われております。

秀吉軍は40,000、明智軍は16,000圧倒的に軍勢の多い秀吉軍では
ありましたが、更に味方の士気を高めるためこの天王山の松に千成瓢箪の
旗印を掲げたところ、戦局に大きな影響を与え勝利を手中に納めたと伝え
られております。

その旗を立てた松がここにある秀吉の旗立ての松であります。

山崎合戦の石碑

駒札

現在の松は六代目にあたるそうです。

松


さすがに両軍が目指した天王山はこの7合目からでも視界が広がり
大パノラマです。木津川、鴨川、宇治川が合流する地点から、高速道
比叡山の山嶺まで遠望することができます。
ここは隠れた京の名所でもあります。

展望


秀吉は勝利を収めて、天王山にお城を築き大阪城が完成するまでの
居城といたしましたが僅か1年余りで(天正12年)山崎城は廃城され
天主も壊されたようです。

今も天王山の頂上にはお城跡の土塁、空堀、石垣などが残されております。
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