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十七烈士のお墓
2012 / 10 / 19 ( Fri )
禁門の変 十七烈士のお墓

天王山の秀吉の旗立て松から更に登ると「十七烈士の墓」
というのがあります。

幕末期長州藩を核とする尊攘派が公武合体派の排除を要求して
上京、御所で武力衝突を起した事件が禁門の変であります。
(蛤御門の変ともいわれております。)


記念碑

文久3年政変で京都から追放された長州藩は、進発と割拠を
めぐる論争を重ねていたが、元冶元年池田屋事件以後一挙に
進発論が高まり長州藩主は益田・国司・福原三家老に軍令状を
与え、約3000の兵が京都に入りました。
兵は山崎宝積寺、伏見長州屋敷、嵯峨天龍寺に分営、久留米
水天宮の真木和泉の一隊も山崎に布陣いたしました。

そこで三方から市中へ進軍を開始、伏見の福原隊は早く敗れ
ましたが天龍寺の国司隊は御所に到着し、薩摩、会津、桑名、
大垣など幕府勢と戦闘を開始いたしました。

短時間で長州藩は敗退、天王山で真木和泉守以下十七士は自刃
いたしました。

その十七烈士を供養するためここに十七烈士のお墓が建てられました。


駒札


墓表


十七人の隊士は新政府樹立を夢見、革命を図りましたが、残念ながら夢は
果たせず次の時代に夢を託して散っていきました。
新政府が樹立されたのは禁門の変後4年後のことだと記されております。

お墓
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