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新島襄の墓碑
2013 / 03 / 08 ( Fri )
新島襄の墓碑


NHK大河ドラマ「八重の桜」が放映されてから京の都では新島旧邸を
訪れる人が急激に増加して予約も一杯になっております。


山本八重は幕末の慶応4年新政府軍の会津征伐に翻弄され、果敢に
戦いました、がついに鶴ケ城は開城となり父を失いました。

兄覚馬も鳥羽伏見の戦いで捕らえられましたが、覚馬のしたためた
「管見」が認められ幽閉を説かれて京都府の顧問として招かれました。

やがて八重母子は覚馬を頼って京都に出てまいります。

一方新島襄はアメリカ留学フィリップス アカデミーを卒業後
アーモスト大学を卒業帰国し、兄覚馬を通して八重と出会います。

新島襄と八重が婚約中の明治8年(1875年)に同志社英学校
設立いたします。


新島襄は明治23年(1890年)46歳で亡くなり、若王子山の
頂上近くの同志社墓地に学生たちに担がれて埋葬されました。

その墓地が熊野若王子神社から山手に入る道へと案内されています。

矢印

山の斜面に細い登山道がつけられています。

山の斜面

途中鳥居の奥に滝が見られます。

滝


熊野若王子神社から約20分位登ると墓地が並んでいて、一番上に
同志社の墓地があります。

その真正面に新島襄之墓が置かれています。
碑銘は勝海舟の揮毫によるものだそうです。当初は鞍馬の自然石で
建立されていましたが、次第に風化し、現在のものは昭和62年に
ヴァーモント州ラットランド産の花崗岩で再建されたものです。

新島襄墓

八重は昭和7年(1932年)87歳で生涯を閉じその墓地は新島襄の
となりにおかれました。
八重の墓碑銘は徳富猪一郎(蘇峰)の揮毫によるものだそうです。

八重の墓

同じ墓地には山本覚馬のお墓も置かれています。

山本覚馬の墓

そして八重の両親山本権八、佐久、三郎のお墓もみることができます。

山本家の墓

途中は山道なので足元に注意しながら登ることをお勧めします。

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by: * 2013/04/29 12:44 * [ 編集] | page top↑
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