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小浜藩邸跡
2015 / 02 / 14 ( Sat )
小浜藩邸跡&刀剣の開陽堂

京の二条城にほど近いところ(御池通池ノ内町)に刀剣の専門店
「開陽堂」さんがあり、そのお店の前には「小浜藩邸跡」と書かれた
燈籠が立っています。

小浜藩邸跡

説明によれば
二条城の南に神泉苑があり、その南の通りは御池通となります。
この辺りは今ではJR二条駅のすぐ近くになり、
昔、江戸時代は京都所司代を三代にわたって務めた若州小浜藩
酒井家の御屋敷があった処とされています。

当時は2万坪にも及ぶ広大なお屋敷であったようです。
因みに二条城は8万坪に及びます。

このお屋敷は後に第15代将軍徳川慶喜公が文久3年(1863年)に
使用し、慶応3年の9月21日に二条城に移るまで京都における幕府の
活動の拠点となりました。

その間ここで大政奉還の腹案が練られ、幕末の重要な役割を演じ
その決断が下された場所であると記されております。

その証としてここに置かれている灯篭側面に年号と正面に
白須甲斐守源政(?)と書かれています。

小浜藩邸 駒札

この灯篭が置かれているところは
刀剣の専門店「開陽堂」さんのお店の前です。

開陽堂

日本の刀剣が作られたのは古墳時代からといわれておりますが、
刀剣としては平安時代とされています。源頼光が大江山酒呑童子を切った
「童子切」と呼ばれる名刀が現れ、その刀鍛冶で代表される、京の
「三条小鍛冶宗近」と呼ばれる名刀工が現れたと歴史に記されています。

店内

開陽堂さんでは新撰組の土方歳三が所持したとされる刀も保存されています。
その刀はやけに長く、それを腰にさして歩くことが出来たのか?と疑問に思われます。

それにしても昔の武士はこのように危険な刃物を所持していたのですね?

第2次大戦後刀は武器として、GHQによって多くが没収となり、以後登録制となり
現在では美術鑑賞用と武器ではなく、居合道や抜刀道の武具用に限り認められて
います。

この刀の源となる玉鋼が展示されていました。
この黒い塊を日本独特の製法「たたら吹き」という製法でいくつもの工程を経て刀が
出来るそうです。


玉鋼
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