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立春
2009 / 02 / 04 ( Wed )
立春

今年の節分は生憎の雨となりました。

節分は立春の前日の日のことをいい、季節を分ける。季節の変わり目には
邪気(鬼)が生じると考えられていたことからこの邪気を払う追難の行事が
平安のころより始められたといわれております。

節分の頃は昔は門口に柊の枝に鰯の頭をさして、その臭いとトゲのある枝で
鬼やらいをしたり、今でもどこの家庭も豆撒きをして悪霊を祓って一年の無事を
祈願いたします。

京の都ではこの節分の行事は方々の神社やお寺で行われております。

有名なところでは吉田神社、平安の宮中で行われていた行事を昭和初期に
風俗史家江間努氏らによって復元され2月2~4日まで数々の行事が行われて
います。


          節分2

西陣の辺りでは千本釈迦堂でも「おかめ福節分会」が行われています。

千本釈迦堂は正式には大報恩寺といいます。
真言宗智山派の大報恩寺は「おかめ塚」でも知られています。このおかめ塚の物語は

義空上人(大報恩寺の創建者)が本堂を建立するにあたり、当時名大工として名声
を馳せていた長井飛騨守高次を総棟梁として選び、高次は数百人の頭として
指揮していましたが、あるとき本堂を支える四本の柱の内1本を短く切ってしまいました。
途方にくれている高次の様子をみて女房の阿亀が「出来てしまったことを悔やんでも
始まらない、他の柱を短くそろえて枡組を入れて高さを合わせればいいのでは」と進言
そのアイデアが効を奏し本堂は見事完成しました。
ところが女房の阿亀は棟梁が「女の知恵を借りて完成させることができた」といわれては
名声に傷がつくと本堂の棟上式を前に自害して果てたという悲しいお話です。

このお話は大工の間で受け継がれ江戸時代半ばに大工の
池永勘兵衛が本堂の脇におかめ供養塔を建立しその霊を慰めました。
この頃から京都では棟上に際しては「おかめ御幣」を飾り祀ることが生まれ今でも偶に
みることが出来ます。

このおかめさんにちなんで節分には「おかめ福節分会」が催されます。

おかめ塚  節分1


3日の午後3時から、まずおかめ塚に御参りをして、、その後本堂で

狂言  狂言2

茂山狂言会の方々により、暴れまわる鬼に年男が「鬼は外、鬼は外」と豆をぶつけます
一旦は逃げ出す鬼も豆が少なくなると又暴れだします
困った年男たちに「おかめ」さんがやさしく微笑んで諭すと鬼は怒りを納め改心して手にしていた
打ち出の小槌を「おかめ」に差出舞を披露して退散する。
という鬼追いの儀が奉納されます。 その後法要をして豆まきが行われます。

山伏  福おかめ

生憎の雨の中でも大勢の人が集まって法要や鬼追いの儀を見入って一年の無病
息災を祈っていました

そして今日4日は立春です。春は一歩一歩ゆっくり近づいています。

  千本釈迦堂は12月の大根焚きでも有名なお寺です。

 上京区今出川七本松北へ(市バス203、51、59系統 上七軒下車北へ徒歩3分)
16 : 46 : 04 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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