京の冬の旅
2018 / 03 / 07 ( Wed )
相国寺 林光院

第52回「京の冬の旅」は明治150年をテーマに特別展が開催されています。

林光院1

その冬の旅で公開されている相国寺の林光院を訪れました。

相国寺には15ケ寺の塔頭寺院があり、その代表的なのは境外塔頭として
金閣寺、銀閣寺があります。

林光院は境内塔頭寺院で今回冬の旅で初めて公開されています。

林光院 白梅2

室町時代に、第4代将軍足利義持の」弟義嗣の菩提を弔うために、
夢想国師を開山として二条西ノ京の紀貫之の屋敷跡に創建されたと伝え
られています。
その後移転を繰り返し、天正年間に豊臣秀吉の町割り政策によって現在地
相国寺山内に移転し、現在に至るそうです。

明治時代には荒廃し、一時廃寺となるも、大正8年に相国寺派管長の
橋本獨山によって再興されました。
現在の建物は江戸時代後期に滋賀県の仁正寺藩市橋家藩邸を買い取り、
移築したものだそうです。

林光院玄関2

相国寺林光院と島津家のつながりは
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの折、西軍に属していた島津義弘は背水の陣と
なり、東軍の中央を突破して伊賀に隠れていた時、義弘とかって親交のあった
大阪の豪商田辺屋今井道與が潜伏先に急行し、困難な逃避行を助け堺港より
乗船させ海路護送して無事薩摩に帰国させました。
この道與の嫡孫が後の林光院の第5世住職となったことにより、薩摩藩とは
深いつながりが生まれ、薩摩藩に関したものが多く残されているそうです。
又、相国寺の東門外の林光院の墓地には、幕末の変で戦死した72名の
薩摩藩士のお墓が祀られています。

この時助けた今井道與は後にこの功により島津藩より秘伝とされている薬の
調薬法の伝授が許され、現在の田辺製薬となりました。

林光院には珍しい「鶯宿売」が毎年3月には馥郁とした香りを漂わせて、見事な
花を咲かせます。  今年は未だ2,3輪しか咲いていませんでした。
1本の梅が真紅から淡紅、純白と色を変えていくのが大変珍しいのです。

平安時代、村上天皇が御所の梅が枯れたときに紀貫之の邸宅に咲いていた
この梅を移植するように命じられました。
この時、紀貫之の娘紀内侍は
 勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はととはば いかがこたえん」と歌をよんで
別れをおしみました。
 この意味は 帝のおぼしめしならば、いたしかたありませんが、今年も鶯が
 飛んできて、わがとまる宿はどこへ行ったのかと、とわれれば、なんと答えましょう

村上天皇はこの歌に心をうたれ、またもとに梅を返したという逸話がのこる
梅です。

京の冬の旅2

今回冬の旅で初公開されたのはこの林光院の襖絵が昨年藤井涌泉画伯によって
完成した記念の公開でもあります。
本堂には龍と虎(猫ではありません)林光院様からの依頼で後はお任せされたそうです。
牡丹図、梅図、松図、葡萄図、蓮図などが水墨画で描かれています。

虎は一見猫のように見えますが、なかなかユニークな虎の図です。
毛先は一本づつ繊細に描かれていてとても素晴らしい作品です。
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