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京の伝説②
2009 / 02 / 16 ( Mon )
京の伝説②

報恩寺の撞かずの鐘

報恩寺1  報恩寺2

京都は上京区の小川通寺之内下るに報恩寺があります。

報恩寺は正式には「堯天山 報恩寺」といい浄土宗のお寺です。
室町時代には法音寺と称し、八宗兼学の寺院として一条高倉付近にあったが
後柏原天皇の勅旨をもって慶誉が「報恩時」と名を改め浄土宗の寺院として
再興、天正13年(1585年)現在地に移転されました。

ご本尊は安阿弥快慶作”阿弥陀如来”

鐘  鐘2



この報恩寺には平安時代鋳造の梵鐘があります。
この鐘は"撞くなの鐘"。あるいは"撞かずの鐘"といい、悲しい伝説があります。

昔はこの辺りは西陣の織屋が並ぶ町並みで、朝夕に鳴る報恩時の鐘は
一日の仕事の初めと終わりの合図でした。

或る機屋に仲の悪い丁稚と織女がいまして、報恩時の鐘が幾つ鳴るかと賭けをしました。
丁稚は八つといい、織女は九つと言い争いをしました。

悪賢い丁稚は寺男に今夕だけは八つで止めてほしいと願いを約束させました。
何も知らない寺男は簡単に引き受けてしまいました。

夕刻になり鐘が鳴り始め丁稚と織女は数え始めましたが、どうしたことか鐘は八つしか
鳴りませんでした。

百八の煩悩を除滅することを願って撞くので百八が基準であり、十二分の一・・九つが
正しいので本当は九つなるのです。

賭けに負けた織女は悔しさ、悲しさのあまり鐘楼にて首吊り自殺をしてしまいました。
その怨霊のたたりかそれ以後鐘を撞くと不吉なことが生じるので、厚く供養をし菩提を弔い
以後鐘を撞くのをやめました。

それ以後この鐘を撞くなの鐘、撞かずの鐘として、現在では除夜の鐘とお寺の大法要の
時のみ撞くようになったという悲しい伝説があります。

又この報恩寺は鳴虎の寺としても知られています。
鳴虎は文亀元年(1501年)後柏原天皇より下賜された虎の掛け軸で中国の画家「宜」
よって描かれたものといわれ豊臣秀吉がたいそう気に入り、聚楽第に持ち帰り床にかけて
折に触れ楽しんでいたが、どういうわけか夜になると鳴動がしてどうしても眠れない。

これは「鳴虎のせいだ 早くこの鳴虎の軸を寺に返せ」といって寺に返させたといわれる
"鳴虎の軸"もあります。

こちらの報恩寺は非公開のお寺ですが虎年の(1月1日から3日)までは鳴虎を拝見
することができます。

                羅漢さま

また境内には”賓頭盧頗羅隋闍尊者(びんずるはらだじゃそんじゃ)”があります。
おびんずるさまと崇め佛弟子十六羅漢の一人で阿羅漢果と証し神通力を得て
撫佛することによって難病を除き給う霊験あらたな羅漢さまだそうです。


報恩寺へは市バス⑨、⑫で堀川寺の内下車信号を渡って東へ一筋下るです。
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