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大覚寺
2018 / 12 / 02 ( Sun )
大覚寺(戊戌開封法会)

京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は正式には
「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といいます。
真言宗大覚寺派の本山で心経写経の根本道場とされています。
その昔、平安時代 ここに嵯峨天皇の離宮”嵯峨院”が建立されたところで、
嵯峨天皇の皇女正子内親王が清和天皇に上奏され大覚寺と改められました。
初代住職には嵯峨天皇のお孫さんに当たる恒寂入道親王が就かれました。
このことから大覚寺は格式の高い門跡寺院といわれております。

門前ぶろぐ

この大覚寺には嵯峨天皇が弘仁9年(818)の春に都で大旱魃から全国に疫病が蔓延し、
た時、その状況を憂慮され弘法大師の勧めによって疫病退散を願い、一文字書く度に
五体投地という礼拝を三度しながら般若心経を淨書されました。

その写経が完成し、弘法大師が護摩供養されると、たちまち疫病が治まり都に安寧が
もたらされたことから、この嵯峨天皇の写経を霊経として心経殿に勅名により封印され
奉安されてきました。

この写経は写経された年の干支が戊戌(つちのえいぬ)であることから、以来60年に
一度だけ心経殿が開封され、関係者の方によって法会が行われてきました。

今年はその60年目を迎えることとなり、しかも写経がなされてから1200年という記念の
年に当たることから、二度とないこの歴史的瞬間を広く一般に公開されることとなり
10月~11月末まで公開されてまいりました。
毎日大型バスを連ね檀信徒の方は勿論、一般の方も大勢が参拝されました。

玄関ブログ

式台玄関(大玄関)は江戸時代に京都御所より移築されたもので、特別なお客様のみ
お入りになる玄関となっております。

丁度嵯峨菊が満開となっております。
嵯峨天皇は平安時代の初め大沢池の菊ガ島に咲く菊を手折られ花瓶に挿されたところ
その形が「天、地、人」の三才のうつくしさであったところから、後世花を生けるときはこの
形を範とするべしと仰せられた処から「嵯峨御流」の華道が誕生したと伝えられています。
その嵯峨菊は可憐で愛らしく高貴な菊です。

唐門ブログ

勅使門は天皇陛下が行啓される時のみ開封される門です。
手前の少し高くなっている部分は石舞台です。
かってこの場所に大覚寺の本堂である五大堂がおかれていましたが、大正天皇の即位の
時の饗宴殿が御影堂として移築されることになり、勅使門の正面に御影堂を建てないと失礼に
当たるということから五大堂が池川に移築されました。
その五大堂の基壇の跡に現在は石舞台として使用されています。

紅葉3ブログ
五大堂からお庭を眺めてみますと丁度紅葉が真っ盛りでした。

大沢の池ブログ

早朝の大沢池は静かで護摩堂廻りの紅葉がきれいに湖面に映し出されています。
大沢池の周囲は1kmあり、日本最古の庭園池とされ、中国の「洞庭湖」を模して造られた
ところから庭湖とよばれます。
池の畔には心経宝塔や石仏、名古曾の滝跡などがあり国の名勝地になっています。
名古曾の滝はかつて藤原公任が
 滝の音は 絶えて久しくなりぬれど なこそ流れて なお聞こえけれ
と歌を詠んでおられます。

大瀑池ブログ

丁度紅葉も今が見ごろとなっています。
嵯峨天皇の霊経の1200年記念開封法会に参拝して京の都が平成最後の年を
恙なく終えられ又飛躍の新たな年を迎えられることを祈念いたしました。
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