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祇園祭
2018 / 07 / 02 ( Mon )
祇園祭 くじ取り式

7月2日は祇園祭のくじ取り式

式次第


京の三大祭りの一つでユネスコ無形文化遺産に登録されている祇園祭は
7月1ケ月かけて行われる厄除け神事です。

くじ取り式は祇園祭で神事の先払いとされている山鉾の巡行の順番を
決めるための大切な行事です。

その昔山鉾巡行の先陣争いが絶えず、応仁の乱以降明応9年(1500)
よりその先陣争いを避けるために始められました。
今年はその回を重ねる事518回目を迎えました。

江戸時代には雑色(京都所司代に属して京都の行政、警察、司法の補助を
する人)立合いのもと六角堂で行われ、京都所司代の花押等のあるくじが
渡されたと説明にありました。
場所は明治以降は府庁、同32年から市役所に変わり、戦後一時期八坂神社
となりましたが、昭和28年からは京都市会議場で行われるようになりました。
そして日程も7月2日と決められています。

京都市役所は1927年竣工で政令指定都市の市役所では一番ふるくからある
建物です。
設計は武田五一、中野進一氏によるものです。
平成31年には京都市会誕生130周年を迎えます。

議場

議場2

議場3

このくじ取り式が一般公開され見学してきました。

くじ取り式には、京都市長、八坂神社宮司、始め山鉾連合会会長、清々講社幹事長
祇園祭関係者の多くの方の出席のもと33基の山鉾の代表者が紋付き袴姿で出席
され午前10時から行われました。

籤取式

籤は慎重にその数の確認が行われ、あらかじめ籤をひく順番をきめるよび籤取
が行なわれていて、その順番に従って籤がひかれます。

籤取式2

籤取式3

籤は巡行する33基の山鉾のうちでくじ取らずの
長刀鉾、函谷鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、橋弁慶山、北観音山、南観音山、大船鉾
以外の山鉾が籤をひきます。

山壱蟠

今年の先祭りの山一番には蟷螂山が、後祭りでは黒主山が決定しました。

山一番は長刀鉾の次に巡行するので一番をひきあてると、会場から「ほお ~」と
羨望の声がかかります。

鉾第壱番 鶏鉾

さあこれで巡行の順番が決められ、愈々祭り本番へと突入いたします。
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東北の旅3
2018 / 06 / 29 ( Fri )
東北 三沢宿

東北の旅2日目の宿は三沢駅から車で5分の星野リゾート青森屋です。

もとは旅館であった建物を再生されていて、敷地22万坪というとても広い敷地に
池を囲んだ公園には古民家を利用した施設があり、とてもいい風情です。

青森屋

園内の地図を片手にお食事前の散策に出掛けます。

宿泊のお部屋は西館で、お食事や宴会場は本館です。

青森屋地図

玄関から西大門を潜って園内にはいりますと、足湯があったり、鐘撞堂があります

青森屋 西大門
 
そして先ず眼前には浮見堂が目にはいります。
池面にその逆さ姿を映し何とも不思議な建物です。
現在は守り神をお祀りする建物のようです。

浮見堂

南部曲屋は全国馬産地であった南部地方の馬屋と住まいが一体となった建物を
利用して現在はラウンジとなっているようです。

南部曲屋

藁屋根のカーブが何とも不思議なつくりです。

南部曲屋2

この園内に渋沢栄一旧邸があります。

渋沢栄一邸門

渋沢栄一は現在埼玉県の豪農の家に生まれ、文久元年に江戸に出、徳川慶喜の
幕臣となりその力を発揮、
大政奉還後は大蔵省に入省、第一国立銀行{第一銀行)みずほ銀行の頭取や
東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙など多くの企業設立にかかわる。その数500
ともいわれて幕末から明治、大正にかけて日本の先駆的存在と言われる人です。

渋沢栄一の後を孫の敬三が継ぎ、同じく第一銀行頭取や日銀総裁、国際電信電話
会社社長等歴任し、日本経済復興の端緒を開いた人物といわれています。

旧邸の門を入ったところに、栄一と敬三両氏の銅像と渋沢神社が建てられています。

渋沢栄一銅像
旧邸宅はもともとは東京にあって、大蔵大臣官邸になったり、供用会議所に
なったりしていたようですが平成3年にこの地に移設されたようです。
ここに移設されたのは、星野リゾート青森屋の前身小牧温泉創業者の杉本氏が
渋沢家の執事として親子二代に亘って仕えていたといういきさつがあるようです。
建設は清水建設が、設計は西村好時氏だそうです。
広大な素晴らしい洋館の建物で内部は非公開です。

渋沢栄一邸

さて、食前の散歩を終えて愈々お食事タイムです。
お食事は全員で大広間で頂きます。

そこにはねぶたが堂々と三基据えられています。

ねぶたには3種類あります。

まず五所川原立佞武多
高さ23mもあるねぶたが町を練り歩くとその勇壮さは見事なものとか
「ヤッテマーレ、ヤッテマーレ」

弘前ねぶた

青森ねぶた
宵闇に大見得をきる迫力が素晴らしいねぶたです。
「ラッセラー、ラッセラー」

青森ねぶた

「弘前ねぶた」
弘前ねぶたは表には勇壮で色鮮やかな武者絵、裏には妖艶な美人画が
画かれているのが特徴
「ヤーヤードー」

五所川原立佞武多

どれも迫力満点です。
これは本物を縮小したものなので、実際にはもっと大きなものとなります。
掛け声もそれぞれちがうようです。

津軽といえば三味線、津軽三味線の音色もすばらしいです。
どこか哀愁を覚えます。

津軽三味線

ホテルの従業員さんは大変です。
笛は吹くし、踊りは踊るし、それも一流の芸人揃いです。
お客様も巻き込んで、旅の一夜を楽しませてくれます。
ここにも星野リゾートの企業秘密があるようです。

祭り

祭り2

お料理は
お祭り前夜菜、お造り、立佞武多五段セイロ、郷土料理(せんべい汁)、
香の物、甘味です

青森屋晩餐

配られたうちわはお土産にどうぞ!!

五段せいろ

かくして青森の夜は更けていきました。

18 : 45 : 17 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅2
2018 / 06 / 27 ( Wed )
本州最北端の地

本州下北半島の一夜が明け、今日は本州最北端の地「大間岬」へ
やってきました。

ここから北海道函館までは僅か17.5kmです。

本州最北端2

”ここ本州最北端の地”のモニュメントも大きくそびえています。

本州最北端

そして大間といえばマグロの一大漁場でも有名です。
マグロの一本釣のモニュメントも堂々と据えられています。
最大マグロを釣り上げるとマグロ御殿が建つほどの漁場です。
初競りで1億5千万円を競り落とした実績もあるそうです。

大間岬1

そして青森といえば石川啄木
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」と詠んだのは
大間崎の沖合の弁天島のことともいわれております。
歌碑が建てられています。

石川啄木歌碑

弁天島は大間岬の沖合600mのところに浮かぶ周囲2.7km小さな島です。
この島に弁財天(赤い鳥居)が祀られていて、古くから漁師の人々の信仰を集めています。
ここは野鳥の宝庫ともなっています。

弁天島

大間から下北交通(バス)にゆられて海岸沿いを雄大な大海原を眺めながら
下北駅まで南下 約1時間40分、下北駅からタクシーで恐山まで約30分
途中恐山霊水をみつける
この霊水は貞観4年(862)慈覚大師が恐山を開山し、山道ひば原始林の中から
霊水が噴きいで、その霊水なる水は不老水ともうたわれ登山する人を喜ばせる
と駒札に書かれていました。
早速その霊水を頂きました。
柔らかいとても美味しい水でした。傍には九輪草が咲いていました。

冷水

恐山は貞観4年(862)に天台宗の慈覚大師によって開山され、田名部海辺三十三観音霊場
の三十三番札所となっています。
康正2年(1456)蛎崎の乱で焼き払われ、一旦廃寺となったが、享禄3年(1530)に円通寺開山
の宏智聚覚和尚によって再興されたそうです。
観音像は開山堂に安置され、中央の聖観音、十一面観音とともに円空作でナタ彫という
独特の技法で作仏されたものと伝えられています。

ここより恐山の霊場になります。

霊場

山門前には石造りの六地蔵尊が祀られています。

六代地蔵

総門より山門を望みます。
此の頃より硫黄の臭いがしてまいります。
恐山は慈覚大師が中国での修行中に見た夢のお告げによって帰国後
諸国に教えを説かれ旅の果てにこの下北の地に辿り着き眼前に広がる霊山に
感じ入り地蔵菩薩一体を彫刻し、本尊とされたとあります。
この地は宇曾利湖を中心に八つの峰に囲まれた地形で、火山ガスが噴出する
ところです。

恐山山門

恐山本堂

大聖釈迦如来安置本堂
建物はいずれも威風堂々の大きさで自然の雄大さを感じさせられます。

大聖釈迦如来安置本堂

人々は古来より死ねばお山に行くという信仰と祈りが根付いていて、
恐山には東北一円に限らず日本各地から信者が多く参拝に訪れるところ
だそうです。

地蔵尊2

霊場恐山には火山ガスが噴き出す地獄を、又斎の救いの主地蔵菩薩を
白砂の浜は極楽になぞられてお山が構成されています。

大師堂

慈覚大師像

大師像

慈覚大師辻説法の地

大師説法の地

斎の河原地蔵尊

賽の河原地蔵

地蔵尊3

宇曾利湖
この湖の水は硫黄の関係で温かいです。
穏やかな湖は極楽を表します。

宇曾利湖

霊場恐山巡拝は約40分かかり一周することができます。
ここで修行する若き僧の中にはこの硫黄の臭いで満願できなくて救急車で
運ばれ下山する人もあるとか
厳しい霊地です。

恐山からバスで三沢駅まで約1時間20分、 駅から星野リゾート青森屋の送迎バス
にて本日の宿舎へ。
19 : 36 : 32 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
東北の旅
2018 / 06 / 24 ( Sun )
東北の旅(1)青森
梅雨前の休暇をいかして東北の旅へ出掛けました。

伊丹空港よりJALで青森まで所要時間約1時間25分
青森空港からJRバスで青森駅まで30分
青森駅から青森港まではすぐの距離

八甲田丸2

青森港にはかって青函連絡船として活躍した八甲田丸が今は博物館として
停泊しています。
八甲田丸は昭和39年(1964)に竣工し、23年余り多くの人々を、多くの物資を
海路として運び続けてきました。
昭和63年(1988)青函連絡船終航に伴って廃止され青森港第2岸壁に繋留して
平成2年より博物館としてその歴史を伝えています。
全長132mもあり圧巻です。
船内には昭和30年代の生活の様子を伝える展示もなされています。
厳しい寒さと生活苦の様子も垣間見ることができます。
戦後10年日本の復興の様子も今は遠い昔になりました。

昭和30年代2

昭和30年代3

昭和30年代

青森港からシィラインポーラスターで自然がおりなす海岸線を佐井まで
約1時間40分余り遊覧しました。

平館海峡

シィラインポーラスター船は96人乗りの高速遊覧船

シィーライン-001

最初の寄港地脇野沢から出発してほどなく、鯛島が見えてきます。
鯛が泳いでる形に似ているところから鯛島と名付けられたそうです。
灯台となっていてここは平館海峡!! さすがに雄大な大海原です。

鯛島

下北半島は津軽海峡に面して半島の最西端に位置し、自然との厳しい戦いがあります。
地勢は平坦地が少なくほとんどが山地となっています。
海岸線は冬季には陸路も交通が限られる厳しい自然環境の地でありますが、
その反面自然がおりなす神秘的な景観がつくられています。
海岸線ぎりぎりまで山裾が迫り、木々が削られて白緑色や褐色の岩肌がそそりたつ

海岸

海岸線

これらの山肌は如来の首、五百羅漢、一つ岩、観音岩、極楽浜など仏様に
ちなんだ名前が付けられています。
そしてこの湾岸を仏ケ浦と名付けられています。

仏が浦3

仏が浦2

モニュメント

佐井で下船して大間町までタクシーで約30分 大間温泉海峡保養センターに宿泊です。

大間といえば「マクロ」 マグロ御殿が誕生するほどの漁場です。
今夜はその大間のマグロを3種と大間肉を賞味して、本州最北端の夜を満喫します。
16 : 43 : 32 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
端午の節供
2018 / 05 / 06 ( Sun )
藤森神社 駆馬神事

京都の伏見区(京阪電鉄「墨染」駅から7分位のところ)に藤森神社があります。

本殿

平安遷都以前からお祀りされているという古社で
御祭神は神功皇后以下計12柱がお祀りされていると言われます。
本殿は中御門天皇より正徳二年(1712)宮中賢所の建物を下賜されたと
伝えられています。
唐派風の屋根は杮葺きで流れ造りとなっています。

この藤森神社は菖蒲の節句発祥の地とされ、端午の節供で飾られる武者人形
には藤森の神が宿るといわれます。

菖蒲の節句発祥の地

この菖蒲の節句は勝負の神様、馬の神様とも崇められ、毎年5月5日には
駆馬神事が行われます。

絵馬

今年も好天に恵まれ、午後1時から第1回目の神事が行われますが、1時間前
から境内は一杯の参拝客で賑わっていました。

駆馬神事は、古来早良親王が天応元年(781)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の
勅許を受けて藤森神社に出陣祈願したのを模したものと言われます。
速さを競うものではなく、戦場で敵を交わす妙技で、江戸時代中期以降大陸系の
曲芸的な馬術の影響を受け、明治時代より氏子に伝承されてきました。

昭和58年には京都市登録の無形民俗財に指定され1200年の古来より伝わる
伝統行事として毎年行われています。

先ずは馬場のお祓いが宮司様によって行われます。

お祓い

出走馬のお目見えです。
今日は紫の綱をつける馬が大変気性が荒く いきりたっていました。

お渡り

ちびっこで将来の騎手になろう可愛い子供騎手も参列します。

ちびっこ

始まりのふれ太鼓が打たれます。

太鼓

大切な役割、行司の合図で馬が出走いたします。 
そしてここが終点となります。
全力疾走してきた馬はここで急ブレーキをかけます。

終点

当日披露される技には
 手綱潜り   敵矢の降りしきる中を駆ける技
 逆乗り     敵の動静を身ながら駆ける技
 矢祓い    敵を打ち払いながら駆ける技
 横乗り     敵に姿を隠して駆ける技
 逆立ち    敵を嘲りながら駆ける技
 藤下り     敵矢が当たったと見せて駆ける技
 一字書き   前線より後方に情報を送りながら駆ける技

騎手6

騎手7

騎手8

騎手9

騎手10

等が行われます。 
そこには大変危険があり、馬の調子にもよって騎手が様子を窺いながら披露されます。

落馬もありました。幸い大事には至らなかったのでよかったです。

大変勇壮なお祭り、「駆馬神事」は迫力満点です。
関係者の方々は事故がないようにと非常に神経を使い、この伝統行事を5日は2回
披露されました。

あまりにスピードが速いので写真撮影は大変です。
17 : 22 : 50 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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