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MIHO MUSEUM
2019 / 05 / 12 ( Sun )
大徳寺 龍光院 宝物展
  「国宝 曜変天目と破草鞋」

滋賀県甲賀郡信楽町(JR東海道線の石山駅よりバスで50分位甲賀郡へ向かう)
にMIHO MUSEUMがあります。

地図

MIHO MUSEUM は平成9年(1997)に宗教法人神慈秀明会の会主小山美秀子氏
のコレクションを展示するために造られた美術館です。

地図2

設計者は世界的に有名な1M..Pe(イオ ミンペイ)によるものだそうです。
(イオ ミンペイ設計士はルーブル美術館のピラミッドを設計した方です。)

桃源郷をイメージして作られた建物は自然環境の保全に配慮がなされ
容積の8割は地下に造られています。
これは世俗を離れた他界仙境の境地にある美術館といわれております。
初代館長は梅原猛先生です。

パンフレット2

このMIHO MUSEUMで3月21日から5月19日までの期間
大徳寺 龍光院にて400年の間守られてきた数々の宝物が一挙に公開
されています。
その中には国宝の「曜変天目」や門外不出とされ、今まで一般の目に
触れることのなかった200点余りの宝物を拝見することができます。
貴重なる体験ができ感動です。

パンフレット

10連休明けに出掛けましたが、石山駅に着くと既に長蛇の列が出来ていました。
駅から直行のバスが出ていて、所要時間50分でMUSEUMに到着いたします。
この日は始発から臨時便が運行されました。
柔らかな新緑に包まれた山間の道は穏やかで心が和みます。

レセプション棟

バスを降りると広いレセプション棟の前です。ここにはレストランがあります。
無農薬、有機野菜を使ったヘルシーな昼食を戴くことができます。

ここからMYUSEUM迄は徒歩で7分位かかります。
両サイドは枝垂れ桜が並木のように連なっています。開花時は素晴らしい景色と
なります。

ミュージアム入口

途中今は霧島躑躅が真赤に咲きだしていました。

きりしま躑躅

MYUSEUMから少し進みますとトンネルに入ります。

トンネル

トンネルの壁面はステンレスで出来ていて淡い光が反射して吸い込まれます。
このトンネルは春 桜の頃にはピンク色に、新緑の頃は薄緑に、紅葉の頃は真赤に変化
するようです。

トンネル内

トンネルを抜けると吊り橋がイメージされています。

トンネル3

10時の開館前既に長蛇の列ができていました。

長蛇の列

玄関から展示室への通路からは山間の風景が見え雄大です。
向うに小さく屋根が見えるのが宗教法人神慈秀明会の会館のようです。

外景色

曜変天目はもともと中国で焼かれていた建盞の一種で偶然に釜内で
油滴や建盞とは異なる美しい結晶が生じたものである。と書かれています。
足利義政が秘蔵していた曜変天目は特に優れたものであったとされ、後に
織田信長の手に渡りましたが、本能寺の変にて焼失したのではないかと
されています。
今日本では国宝に指定されている曜変天目は三椀だけで、
大徳寺 龍光院所蔵、藤田美術館所蔵、静嘉堂文庫美術館所蔵とされて
います。
しかし『大正名器鑑』には曜変の称をもつものとして六椀が挙げられ、そのうちの
前田家に伝来した名品がMIHO MUSEUMの常設展で展示されています。
こちらは「耀変天目」とされています。

耀変天目茶碗

又龍光院の国宝の茶室「密庵席」の映像と模型も展示されていました。

密庵席には密庵咸傑墨跡を懸けるための密庵床が設えてあります。

その他螺鈿唐草文様天目茶碗や南宋時代の伝牧谿筆の柿・栗図(重要文化財)
と素晴らしい宝物の数々が陳列されていました。

どれも感動の体験でした。

大徳寺 龍光院は武将黒田長政の父黒田孝高(如水 官兵衛)の菩提を弔う
ために慶長11年(1606)に紅月宗玩和尚を開祖として建立された寺院です。

紅月宗玩和尚は茶人で堺の豪商津田宗及の次男で優れた禅風と高い教養の
持ち主でした。 その紅月宗玩所用の品々や紅月に帰依した人々縁の宝物や
今日まで受け継がれてきた文化財の数々が展示されている宝物展です。
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非公開文化財特別公開
2019 / 05 / 06 ( Mon )
初公開 安祥寺

年号が令和に代わると共に新たに天皇が即位をされるにちなみ京では
20か所の寺社で通常非公開の文化財が公開されました。

疏水

京都の山科疏水に架かる安祥寺橋を渡ってまもなくにある

安祥寺橋

安祥寺は、正式には 吉祥山 寶塔院 と呼びます。
平安時代嘉祥元年(848)仁明天皇の皇后(文徳天皇のご生母)である藤原順子(のぶこ)
の発願により創建されました。
開基は弘法大師の孫弟子である恵運僧都です。
創建当初は上、下両所の大伽藍を始め、塔頭の坊舎700余りを有する広大な
寺院形成となり国家安穏の祈祷道場として寺運は大いに隆昌したようです。

しかし平安末期には寺勢は衰退に向かい、中世の戦国時代から応仁・文明の乱
により上・下両寺とも殆ど灰燼に帰し衰退しました。

江戸時代になり五十丁四辺の山林及び境内地が復旧し、現在の安祥寺の基
となっているそうです。

看板

これまでは一般には門戸が開かれませんでしたが、今回初めて本堂に安置
されている奈良時代十一面観音菩薩立像(重要文化財)が公開されました。

観音堂

この十一面観音菩薩立像は像高が2、5mもあり、カヤの一木造りだそうです。
秘仏とされて参りましたので金色に輝き、厳かでお顔立ちも凛とした素晴らしい
観音様でした。通常は特別なお逗子に入っておられお逗子のまえには御前立の
観音様が祀られています。

この十一面観音立像と安祥寺の創建とは年代があわないが、もと山科は藤原鎌足
ゆかりの山階寺が存在し本像とのかかわりが伺えるそうです。

地蔵堂

地蔵堂には地蔵菩薩坐像が安置されていて、像高は134cmで寄木造り
目には玉眼が嵌められていますが色は剥落してよくみえません。

大師堂には弘法大師、開山恵運や歴代の上人等五体が安置されています。

大師堂

境内には低木のシャクナゲが色鮮やかに咲いていました。
地面から顔を出したくらいな背の低い不思議なハイドンハンターと名前のついた
シャクナゲでした。

西洋シャクゲ

鐘楼の鐘は摂州渡邊安曇寺の鐘だそうです。
嘉元4年(1306)豊臣秀吉が朝鮮出兵の際五畿の寺院にそれぞれの梵鐘を陣鐘として
供出させ、事が終了してから返納する際に誤って安祥寺へ安曇寺の鐘が帰ってきた
という顛末だそうです。

鐘楼

鐘楼の周りにはシャガが咲いていました。

シャガ
22 : 14 : 36 | 京のお寺・神社 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の桜だより
2019 / 04 / 08 ( Mon )
京の桜だより 円山公園

京都市内で最も古い公園は多くの市民や観光客の方々に愛されている
円山公園です。

この円山公園の歴史
明治19年12月に政府の太政官布告に基づき公園地として指定され円山公園
が誕生いたしました。
明治22年には京都府から京都市に移管され東山の丘陵を利用し回遊式の
日本庭園として作られた素晴らしい歴史ある公園です。

この円山公園には桜の中で最も愛されている妖艶で艶やかな1本の桜があります。

それは「祇園の夜桜」です。

その品種は正式には「一重白彼岸枝垂桜」と呼びます。
現在の枝垂れ桜は二代目になります。

         枝垂れ1

初代は昭和22年に枯死してしまいました。
樹齢200年余りで昭和13年に天然記念物に指定されていたという銘木でした。

現在の二代目は京都の桜守で有名な佐野と藤右衛門さんが桜の種子を採取して
畑で育ててこられたものを昭和24年に現地の植栽して下さったものだそうです。

そのお蔭でこの円山公園の祇園の夜桜が黄泉がえりました。

枝垂れ2

二代目の桜も今年で樹齢は70年を越えました。
近年は烏の被害や台風等の被害で大分弱ってきています。
それでも今年も頑張って力を振り絞って立派に花を咲かせてくれました。
私は毎年この祇園の枝垂れ桜に逢いに来ます。
   今年も立派に咲いてくれて有難うを伝えに!!

枝垂れ3

円山公園はこの枝垂れ桜の他にも吉野桜等が700~800本もあり、今まさに
満開となっています。
今年は寒暖の差が激しいので寒い日もあり桜は長持ちしています。

枝垂れ4

4月に入りますとまずは新入社員は円山公園の夜桜見物の席取りという
お仕事が待っています。
以前はブルーシートが敷かれて席取りが行われましたが、さすがに今は茣蓙
が敷かれるようになりました。

枝垂れ5

円山公園の桜模様です。
20 : 10 : 38 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京の桜だより
2019 / 04 / 06 ( Sat )
京の桜だより 水火天満宮

日本で最初に菅原道真の神霊を祀る天満宮として延長元年(923)に
醍醐天皇の命を受け比叡山延暦寺の尊意僧正によって建立された
水火天満宮は、現在堀川通の寺の内上るにあります。

     鳥居

境内を入りますと立派な一重の紅枝垂れ桜が今満開となっております。

この桜は、西陣の中学校に通っていた生徒さん数人がのち事業に成功を収められ
その恩返しにと10本の桜が西陣の社寺に寄贈されました。
そのうちの3本がこの水火天満宮で大切に育てられ、現在の見事な桜に成長
したものだと伝えられております。

     紅枝垂れ4

毎年この時期になりますと見事な桜を愛でに多くの方が訪れます。
枝振りは地面に着かんばかりに伸び可憐な花を咲かせています。
近年は情報網が広ろまって海外の方も着物姿で訪れ、盛んに写真撮影を
されています。

         紅枝垂れ1

境内には菅原道真縁の「登天石」がお祀りされています。

この登天石には伝説があります。
道真は時の左大臣藤吾時平の讒言により大宰府に流され、配流先で59歳の生涯
を閉じました。
道真の死後京の都には時ならぬ雹が降ったり激しい雷雨に見舞われたりして、
京の都に住む人達は生きた心地がしなかったといいます。
そこで時の醍醐天皇は道真が師と仰いでいた比叡山延暦寺の尊意僧正に祈祷を
命じました。
尊意僧正が急いで山を下り、鴨川の辺りまで参りますと、激しい雷雨となり水は
みるみる溢れだしました。 そこで尊意僧正はひるむことなく数珠をひともみし、祈ると
川の水が二つに分かれ、その中から石が現れ、道真が立っていました。
尊意僧正はさらに祈るとやがて道真は天に上り、雷雨が止んで水嵩もひいた。
尊意僧正はこの石を自邸に持ち帰り供養した。  というものです。

          紅枝垂れ3

境内には他にも「出世石」や眼病に効能がある「金龍水」、安産祈願の「玉子石」
お祀りされています。

          紅枝垂れ2

丁度今満開の桜情報をお届けいたします。

17 : 07 : 46 | 京の暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雛祭り
2019 / 03 / 04 ( Mon )
京の雛祭り

3月3日は五節句の中で「上巳の節句」と申します。

五節句はもともと中国の唐の時代に定められた季節の移り変りに伴って行われて
いた行事のことで、
奇数は陽の数、 偶数は陰の数と考えられ、陽の数が重なると陰に転じやすい所から
この日に邪気や災厄を祓う行事を行いました。

江戸時代にはこの五節句が生活の中に浸透し、公的な行事として幕府が
祝日と定めました。

この祝日制度は明治時代になって廃止されています。

上巳とは旧暦3月の「巳」の日のことで、中国ではこの日に川で体を清め
災厄を祓う風習がありました。

平安時代には紙や藁で作った人形に身の穢れを移して川や海に流した
「流し雛」の風習がうまれ、
室町時代には室内で人形を飾る風習「雛人形」が誕生いたします。

FC流しびな


次第に人形作りの技術が発達してきますと、立派な雛人形が作られ
流し雛から飾り雛へと変化してまいります。

雛飾り

江戸時代には豪華な雛段飾りの雛が作られるようになります。
又当初雛人形には元号を表した寛永雛享保雛古今雛などの
銘がつけられたり、作者の名に由来する次郎左衛門雛なども
作られるようになってまいりました。

京都では都が置かれていて、御所、皇室ゆかりの有職雛
宮大工による御殿雛等が作られ一段と豪華な雛人形がつくられるように
なります。

京都のお雛様の飾り方には特徴があります。

日本古来より左上位とされていて、お雛様も向かって右に男雛、左に女雛
とお飾りをしておりました。
昭和になって天皇様の立位置が国際マナーにそって向かって左の天皇様、
右に皇后様がお立ちになりように変化し、一般的にお雛様も向かって左に男雛、
右に女雛を飾るようになりました。
京都では古式の伝統を重んじて旧来のままお飾りをいたしております。

京の都では雛祭り限定のお菓子「引千切」を雛段にお飾りをいたします。

引千切

元は宮中のいただき餅に由来するお菓子で、名前の由来は
下のお団子の上に餡子(きんとん)がのせられていますが、その下の
お団子の先端を引き千切った形をしているとこらから「引千切」と名付けられました。

雛祭りにはこのほかにも
 桃の花・・魔除け 厄除け 百歳(ももとせ)迄生きる 長寿
 白酒・・体から邪気を祓う。  草餅・・蓬の香が邪気を祓う。
 菱餅・・赤(魔除け) 白(子孫繁栄 長寿) 緑(強い香で厄除け) 
等をお供えしたりちらし寿司や蛤のすまし汁でお祝いをいたします。

平安時代から続く雛祭りは今日も各家庭で、あるいは社寺などで
継承され行われ、子供の健やかな成長を祈ります。
華やかな雛祭りです。

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16 : 10 : 59 | 京菓子 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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